平成27年決算特別委員会 文教委員会所管質疑

2015年10月08日 江口じゅん子

殿山横穴墓群遺跡について

江口じゅん子

 日本共産党の文教所管の質疑を始めさせていただきます。
 まず、私は、外環道東名ジャンクションの建設現場より発見された殿山横穴墓群遺跡についての保存を求め、質問をいたします。
 既に他の会派から、この決算特別委員会の質疑を通じて保存を求めるさまざまな角度からの要望が寄せられています。これはやはり、この遺跡が地元のみならず区民全体にとって、太古から続く世田谷の歴史を学び、そして知り、実感するための貴重な郷土の宝、遺産であり、多くの区民がこの保存を願っているあらわれだと思います。
 私も、九月二十六日、六百名以上が参加した殿山横穴墓群の見学会に行ってまいりました。ここにその様子が、写真で、パネルでありますけれども、このように目の前の国分寺崖線一面に横穴墓がずらっと並ぶ様というのはやはり壮観でした。ちょっと見えないかもしれないんですが、こういった黒いところが横穴墓でして、それが今回は十五基ずらっと並んでいたということです。そして、出土したものも、このように今回のパネルにまとめてみました。例えば、これは横穴墓群の砂利とかいろいろ取った後の内容なんですが、これは須恵器です。須恵器というのは、水筒に使われた提瓶を模した副葬品ということです。それから、勾玉とかビーズといったものも出ましたし、鉄やり、それから鉄の刀なども出ました。
 これが出土品の内容ですけれども、今回出土したこれらのものは副葬品というふうに言われているんです。副葬品というのは、横穴墓の中に葬られた人の人骨とともに、お弔いをするために埋めた副葬品ということで、先ほども申し上げたように、鉄の刀や矢じりなどの武器、武具、首飾りなどの装飾品などが見られます。
 今回出された副葬品に関しては、大体こういったものは、多くは後の時代に盗掘されてしまって、このように多く出土するのは珍しいというふうに、東京都が今、埋蔵文化財の調査をしておりますけれども、そのように説明を聞いています。
 私も見学会に行きまして、私のような歴史への造詣が少ない者でも、これは本当にすごいなと、今から一千三百から一千四百年前の古墳時代には、ここ大蔵、喜多見に人々が生活をしていて、その営みが二十一世紀の今も脈々と続いているのだなということで、感動しました。
 当日は、近隣小学校、中学校に広報したこともありまして、特に小学生連れの家族がとても多かったのが印象的でした。遠出せずとも、自分たちの生活している場所のすぐそばに十五基も、埋め戻されたものも加えると十七基ですが、横穴墓が存在し、それを見られるのは、これは百聞は一見にしかずということで、教室で教科書によって古墳時代を学ぶより、はるかにすばらしい教育的影響を子どもたちにもたらすと思います。郷土史教育の貴重な財産です。恐らく見学をされたほとんどの方が、残したい、潰すのはもったいないと思ったと思います。そう思わせる迫力と本当に説得力がある遺跡でした。
 ここで伺いますが、横穴墓とは何か、簡単に御説明いただければと思います。

土屋 生涯学習・地域・学校連携課長

横穴墓は、その名前のとおり、斜面地、崖地に横穴を掘りまして、墓地として使うというものでございます。通常の墳墓が、要は平らなところに穴をあけましてお棺を入れるものに対して、国分寺崖線という特徴的な崖があるところでつくられているというものでございます。

江口じゅん子

私も、質問するに当たって、横穴墓がどういうものかインターネットでも調べましたけれども、横穴墓と入れると、今、インターネットでは殿山横穴墓と出てくるんですよね。それだけ話題性があったということだと思うんです。この横穴墓というのは、単独で存在することはまれで、おおむね複数から成る横穴墓群を構成すると。ですから、今回のように十七基見つかったということなんですね。

現在、区には、都指定史跡、野毛大塚古墳が現存しております。それと今回発見された殿山横穴墓群の違いについて伺います。

土屋 生涯学習・地域・学校連携課長

野毛大塚古墳は、時代が四世紀末から五世紀初頭に築造されたと考えられております。ホタテガイ式の前方後円墳でございます。高さが十一メートル、全長八十二メートルの大規模な古墳でございます。この時期の南武蔵を代表する古墳でございます。中からは、甲冑や大量の鉄製の刀剣等が発見されております。ほかに余り例を見ない特徴から、当該時期の南武蔵の大首長墓であると考えられておりまして、今、委員おっしゃられましたように、東京都の指定史跡に指定されております。

江口じゅん子

殿山横穴墓群との違いをお伺いしたいんですけれども。

土屋 生涯学習・地域・学校連携課長

一方、今回発見されました殿山横穴墓群というのは、これも委員のお話にありましたように、六世紀から七世紀ということなので、百年から二百年ずれているんですけれども、にかけて築造されたと考えられております横穴墓群でございます。この時期になりますと、野毛大塚のような大規模な古墳が見られなくなりまして、墳墓の形式や意義などが変化してくる中で横穴墓群がつくられるようになってきたと考えられております。

今申し上げましたように、野毛大塚古墳と今回の殿山横穴墓群につきましては、時代がずれているということもありまして、形式や社会状況もかなり異なっているというふうに考えられております。

江口じゅん子

殿山横穴墓群というのは、私も現地で調査を行っている東京都スポーツ文化事業団の説明を受けたんですけれども、今回見つかったのは、豪族よりワンランク下の集落の長クラスの墓ということなんです。今のやりとりで、あの横穴墓がまとまってつくられ、だからこそ、今回まとまって十七基出たことに意義があり、そして、殿山横穴墓群は地域の集落の長の墓であることから、世田谷の郷土史教育の貴重な資料であるということがわかりました。

区は――六月にまず二基が出現したんですね。これは不時の発見ということで、区が調査を行いました。調査を行った後、既に埋め戻されているんですけれども、盛り土なので、今の段階でも壊れていないと聞いております。その後、七月に続けて十五基が発見され、これはNEXCO、事業者の委託を受けて財団法人東京都埋蔵文化財センターが発掘調査を行っております。

ここで伺うのですが、区が調査した二基の殿山横穴墓群の調査内容について伺います。

土屋 生涯学習・地域・学校連携課長

六月に発見されました横穴墓二基につきましては、東京都との協議の上で世田谷区が調査をしております。横穴の内部につきましては、徳利半裁型とか羽子板型といった形があるということと、副葬品につきましては、先ほど申し上げたように、委員もお話がありました須恵器とか鉄刀、それから人骨の一部、勾玉等が発見されているものでございます。これも委員のお話がありましたように、横穴の形としまして、かなり形が潰れていなくて残っているというものでは、非常に保存状態がいいというふうに聞いております。

江口じゅん子

その調査を得まして、区の殿山横穴墓群の遺跡についての、今少しおっしゃられましたけれども、改めて評価について伺います。

土屋 生涯学習・地域・学校連携課長

横穴墓は六世紀から七世紀にかけて築造されたということで、崖沿いに複数の横穴墓が集中して、横穴墓群という形になっているんですけれども、東京都内では世田谷、大田区など国分寺崖線のほか、日野や町田などで遺跡が発見されているということでございます。区内では、これまでに殿山横穴墓も含めまして二十四カ所、合計百四十四基の横穴墓が発見されておりますが、十七基の横穴墓が一度に発見されたということに関しては、その成り立ちとか配置がわかるという意味で、非常に学術的に調査の内容といいますかがわかるものであるということですけれども、一個一個の横穴墓に関しましては、これまで発見されているものと同等のものというふうに考えられております。

江口じゅん子

区は、この殿山横穴墓群を保存するように既にNEXCO、事業者について申し入れをしていると伺っています。なぜ保存を求めたのか、その理由、また方法やこの間の経緯についても伺います。あわせて、事業者から回答があったのか、そのことについても伺います。

土屋 生涯学習・地域・学校連携課長

今回発見されました横穴墓につきましては、委員もおっしゃるように、地域の歴史を示す遺跡であることから、事業者であります国及び中日本高速道路株式会社に対しまして、保存について区教育委員会と要望しているところでございます。発掘調査についても、事業者であります国及び中日本高速道路株式会社や、発掘を担当しております東京都埋蔵文化財センター、東京都教育委員会、世田谷区教育委員会で経過報告とか内容について協議する場がございます。その会議の場でも、担当者が、これは口頭になりますけれども、残せないか、残す方法について工夫できないかというようなことについて要望してきたものでございます。

江口じゅん子

口頭で申し入れをしたというのが、いただいた資料によると、平成二十七年八月十八日だということなんです。しかし、それ以前にも、六月から、二基出土したときから、さまざまなことで残せないかということを口頭ですとかいろんな形で要望しているというふうに聞きましたけれども、それは間違いないでしょうか。

土屋 生涯学習・地域・学校連携課長

おっしゃるように、担当者レベルで立ち会って話していく中で、当初から、非公式という言い方もあれですけれども、残せないかということについての要望は出しているということでございます。

江口じゅん子

都も同様の立場で事業者に保存を求めているというふうに聞いています。区がこの遺産の保存の必要性を認め、そして保存を願う区民の声を伝えて、当初から要望していたということは、大変重要な働きかけだと思っています。保存するに当たっては、何より、事業者であるNEXCO、国の許可が必要です。

また、外環道の計画上、本当に保存が可能なのか、それについても大きな問題です。また、崖線の安全性、ここにあるように、崖の下が開口している状態ですから、その安全性というのも危惧されます。この中で見つかった十四番目のお墓、十四号基は、太平洋戦争時代、防空ごうとして使われ、かなり奥深い。それに関しては危険なので埋め戻す必要があるということも聞いております。さらに、技術的な保存の問題、経費などさまざまな課題が考えられます。それでも、ぜひ部分的、例えば数基であっても現物を保存してもらいたいということを要望します。パネルや映像などの方法もあるとは思います。しかし、それは埋め戻す前提の議論であって、現物保存とは大きく異なるとも思っております。

前回の口頭の申し入れは八月ということでしたので、これからは文書での要望など、さらに実効性のある対応というか、引き続き事業者などにこの保存を求めてほしいと区に求めますが、いかがでしょうか。

土屋 生涯学習・地域・学校連携課長

繰り返しになりますが、教育委員会としましても、引き続き事業者でございます国及び中日本高速道路株式会社にお願いはしていきます。

江口じゅん子

ぜひお願いいたします。

そして、現在この十五基は東京都埋蔵文化財センターが調査中でありますが、この調査はいつ終わるか、わかる範囲でいいんですが、伺っていますでしょうか。

土屋 生涯学習・地域・学校連携課長

当初で調査に入ったときに聞いていますのは、十月中というふうに聞いております。

江口じゅん子

十月中ということで、非常にタイトなスケジュールだと思うんです。近々に何もしなかったら、このまま埋め戻されるということを予測されます。

こうした中、地元では、殿山横穴墓群の保存を求める会というものがつくられました。これには、地元の町会や、それから、東名ジャンクション周辺住民の会、外環いらない世田谷の会、喜多見ポンポコ会議など、区内のさまざまな団体、また、区外の団体も合わせれば十四団体が賛同しています。地域や成城学園前駅前での保存を求める署名活動も行われています。さらに、本日、区長宛てに保存を求める要望書を提出したとも聞いています。また、近く、都知事、また都教育委員長宛てにも要望書を提出予定ということもあわせて聞いております。

ぜひ、地元の貴重な宝、郷土史教育の重要な資料として、事業者に引き続き粘り強く現物保存を求めてもらいたいと強く求めまして、たかじょう委員に交代いたします。

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